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スタジオを公開し, 読書会やイベントなどを開催!
長島有里枝と「ケア」について学ぶプロジェクト。
ART Feb 24, 2023
アーティストの長島有里枝と「ケア」について学ぶプロジェクト「長島有里枝|ケアの学校」が、名古屋市にあるMinatomachi POTLUCK BUILDINGで開催中。
長島有里枝は、1973年東京都生まれのアーティスト/写真家。カリフォルニア芸術大学で写真を学び、これまで、「『僕ら』の『女の子写真』からわたしたちのガーリーフォトへ」大福書林(2020)、「Self-Portraits」Dashwood Books(2020)などの作品集の発行や各地での個展開催など、写真を軸にした活動で第26回木村伊兵衛賞(2001)、2022年日本写真協会学芸賞などを受賞。社会で周縁化されがちな人びとや事象に、フェミニズム的視座から注目した作品を数多く制作しており、近年は写真表現にとどまらず、立体作品、映像、文章の執筆など、表現ジャンルを超えた意欲的な活動を行っている。
現在開催中の本プロジェクトでは、長島自身が会場である港まちに滞在し、展示会場をスタジオとして公開。写真の暗室作業、編み物、読書会、お菓子作り、ダンスや歌の練習など、これまで長島が作品として発表してきた表現やメディアを超えた“制作”を行う。これは、プロジェクトの参加者と共に「アート」と定義しにくい「ものづくり」を通して、それぞれが向き合う「ケア」を考える時間を共有するのが目的だ。3月11日(土)に開催予定のホンマタカシとの「発表会」では、長島自身もパフォーマンスを発表する予定だという。
また、会場周辺の名古屋港エリアでは、本プロジェクトの主催者である港まちづくり協議会を中心に「みなとまちこども食堂」、「港まち手芸部」、「10代のためのフリースペース・パルス」、「まちの社交場・NUCO」などの様々な活動が行われている。今回のプロジェクト開催にあたり、長島もそれらの活動と時間や場所を共有。アーティストである彼女自身が持つ知識や技術の交換に加え、地域の人々や来場者と対話や交流を重ねることで、他者と自身への「ケア」について考え、互いに学び合う場を作ろうと試みている。
1月から開催されている本プロジェクトは、残り1ヶ月ほどの会期となっているが、まだ各種プログラムが予定されているので気になる方は、MAT, Nagoyaのウェブサイトや「ケアの学校」のインスタグラムアカウントをチェックしてみてはいかがだろうか。
長島が大切にし、育もうとする「ケア」とはどんなものなのか? その一端を知り、理解するためにも彼女自身の想いを綴った以下のステイトメントをぜひ、一読してみてほしい。
本プロジェクトの会期中に、50歳を迎えます。デビュー以来30年、社会に対する個人的な思いや、自分にとって切実な問題を起点とした作品を制作してきました。途中でフェミニズムに出会い、そうした行動がThe personal is political(個人的なことは政治的なこと)という実践になりうると知りました。
10代の頃、自分にはなんの価値もないと感じていました。わたしのしんどさや怒りなんて取るに足りないもの。誰かに話して聞かせたり、声に出したりすることは迷惑だと決めつけ、自分の殻に閉じ篭りました。思い詰め、心と身体のバランスを崩したとき、たまたま美大生だったのは運が良かった。表現することを学ぶ過程で、それまで押し殺し、なかったことにしていた感情を解放しない限り、この先を生き延びることは難しいと気づくことができ、アートを通じて方法を探り、実践することができたからです。
子供の頃はとてもゆっくりだった時間の経過がいま、ものすごい速さに感じられます。世界も同じく、ものすごい速さで変化し続けているように見える――昨日まで正しかったことが今日は間違いで、さっき習得した技術もすでに廃れている、という具合に。そんな「いま」を、若いころと変わらぬおぼつかなさで、更年期を迎えた中年としてわたしは生きています。フェミニズムを勉強して強くなったり、生き易くなったりすることはなく、「先生」と呼ばれても人より特別なにかに秀でているわけでも、確固たる自信があるわけでもありません。
そんなわたしが、ホームタウンから遠く離れた名古屋でできることはなんでしょうか。新型コロナウイルスの世界的流行の渦中にあって、ある人々は手を繋いで解決に向かうことよりも戦争で人のものを奪ったり、嘘を流布して差別や対立を深刻化させたり、経済を優先させて地球環境や命を蔑ろにしたりすることを選び続けています。生身の人と触れ合う機会は減っているのに、大きな物語はiPhoneやPCの小さな画面を介して、わたしたちの生活に大量に流れ込んできます。でも、そうじゃない人が、そうじゃない物語をどこかで生きてもいるのです。
2020年に姉と慕っていた人、2021年には娘と思っていた犬のパンクを亡くしました。生きているものはいつか死ぬ、という当たり前のことを受け止めるのが、こんなに辛いなんて。新型コロナウイルスだけが、人の命を奪うわけではありません。別離を経て感じたことは、いまだにこれといった言葉にできずにいます。2022年2月、パンちゃんの写真を持って美容室に行き、髪をパンちゃんの体毛と同じ色にしました。
すごく大切なものを失うと、自分の望みや生きる意味がもともとはとてもシンプルだったことに思い至ります。わたしの場合はずっと、ただ楽しく生きたいだけでした。好きな場所で、好きなとき、好きなことができればよかったのです。幸せな気持ちで眠りに就き、新しい朝を迎える。最後の日までそうやって、自分も、自分を大切にしてくれる人や世界も大好きだと思いながら生きたい。そんな小さな望みを叶えることが、なぜこうも難しく感じられるのか。考えると悲しくなる。だからなんとかしたくて自分はアーチストになった、そんなことも思い出します。
暗室作業、編みもの、お絵描き、子供の世話、読書会、お菓子作り、ダンスや歌の練習。ずっとずっと大好きだったことをしながら、その場に居合わせた人と「ケア」について考えてみたい。ケアとは誰かを気にかけること。誰かとはなにより自分自身のこと。わからないことはわからないままでいいし、感情や身体のコンディションが整わないなら休んでもいい。相手との距離を縮めることだけを目指すのではなく、遠いまま放っておくことも大切な気がする。なにかに没頭する時間が、自分を労わる。没頭するわたしの隣に没頭するあなたがいる。他愛もないことや、真面目なことをお喋りしながら過ごす時間はきっと、未来の世界そのものを「制作」する力を持つはずです。
長島有里枝
会期:開催中(3月18日まで)
会場:Minatomachi POTLUCK BUILDING 3F:Exhibition Space
愛知県名古屋市港区名港1-19-23
時間:11:00~19:00(入場は閉館30分前まで)
休館日:日曜、月曜、祝日
入場料:無料
TEL:052–654-8911
*イベントによっては、ご予約や参加費が必要な場合があります。
*プロジェクトやイベントの詳細、その他最新情報などについては、MAT, Nagoyaのウェブサイト内で漸次更新しますので、ご確認ください。
www.mat-nagoya.jp/exhibition/10117.html